花田清輝


 はなだ・きよてる   花田清輝

  1909年(明治42)、福岡市に生まれる。高等学校の授業にはほとんど出席せず、西田哲学に没頭し、小説をつぎつぎに読破。
  昭和6年、「サンデー毎日」に『七』が掲載される。同年、授業料不納で京大英文科を除籍される。昭和10年、上京、結婚。同15五年、「文化再出発の会」を中野秀人、岡本潤らと結成し、機関紙『文化組織』によって、戦時下の知職人の抵抗をおこなうが、昭和18年「言論出版等臨時取締法」により潰された。
  戦後は、岡本太郎らと「夜の会」を結成。戦争中に書かれた連作エッセイをまとめた先駆的評論・『復興期の精神』を昭和21年に刊行。その後「新日本文学会」の名編集長として活躍。また、異色の小説・戯曲・評論を続々と発表した。晩年は東洋回帰的作品を発表。
  1974年(昭和49年)5月、『日本のルネッサンス人』が刊行されてすぐ脳血栓で入院。9月23日に慶応大学病院にて死去。62歳。林達夫らとともに『昭和のルネッサンス人』といわれている。単純な思考回路では理解しきれない花田清輝の著作は、現在でも多くの人に受け入れられていない。彼が文学史にも余り登場しないのは、過去の人ではなく、我々の遙か先を行くトップランナーであるからであろう。


戻る


「群論・伊勢物語」のホームに戻る


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送