「 群 論 」 について



 長い期間にわたって、多くの人たちによって書き換えられてきた「伊勢物語」の原型は今となっては不明で、当然原作者も分からない。ここで群論の方法を使って伊勢物語の原型を推測してみる。

 集合とは、あるものに属するかどうかだけが分かればいい集まりのことである。群(グループ)では、これに属する任意の二つのものの間に結合則が成立し、また、単位元とその逆元の存在が必要である。群の名称を業平とすると、「没落」という作用素に対して結合則が成立し、「好色」という単位元、そして諧謔としての「気品」という逆元として考えてはどうか、というものである。勿論、厳格な数学の定義に従えば、不適当であるが敢えて試みた。

 数学上の理論を、文学上に適用するなどということは、一般常識からは到底容認できないことかも知れないが、過去に、フランス革命期にその例がある。裁判の判決や選挙問題、道徳問題などに確率論を導入しようとしたのだが、現実的事象にあわせようとしすぎて当然ながらことごとく失敗に終わっている。しかしここに「群論−ガロア」という短いエッセーがある。作者の花田清輝は、そんなフランス革命期の失敗を充分承知で、群論を用いて、この「古い組織」を再組織して「新しい組織」に再生産できないかと設計の基本方針を作ったのである。「群論−ガロア」の入っている著作「復興期の精神」が出版されたのは戦後すぐであるが、群論のエッセーが書かれたのは、太平洋戦争突入の直前であった。しかし戦後の花田は大いに失望した。青写真のない戦後は、全く「新しい組織」ではなかったのである。



ガロアについて



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