「群論−ガロア」


 「群論−ガロア」の一部
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 コンドルセは、自然発生的な大衆蜂起の時代には、その先頭にたって、若干の進歩適役割を果し得たでもあろうが、革命の失敗後、反動勢力の圧迫による表面的安定の時代に、なおも反動に抗して前進しつづけるに必要な、組織力を欠いていた。熱火の試練をくぐり、あくまで柔軟屈撓性にとむそういう組織力の典型を、われわれはガロアの群論においてみいだすであろう。今日の詩が、若いランボ―の『地獄の季節』によって始まったように、今日の代数学は、若いガロアの群論によってはじまったのだ。群論は、あくまで楽天的な、十八世紀における機械的唯物論的な数学の行詰りを克服することから生まれた。五次方程式の代数的解法をめぐり、それまで幾多の先覚が空しい努力をつづけてきたが、ついにガロアの同時代人ア―ベルは、この問題の不能性を証明し、方程式論は空前の危機に遭遇するにいたった。群論は、この危機の産物であった。それは、「与えられた代数方程式を解くこと」から、問題を「代数的に解き得る方程式の有すべき条件」の探求へと転換させたのであった。すな ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                             

花田清輝著

 詳しくは、講談社の学術文庫「復興期の精神」をご参照下さい。

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