第六十二段こけるから
 ・・・阿波国文庫本

定家本 第六十段

 むかし、みけるをんな、心かしこうやあらざりけん。はかなき人のいふことにつきて、ひとのくにになりけるひとにつかはれて、もとみし人のまへにいできて、ものくはせなどしけり。ゆふさり、「このありつるひとたまへ」とあるじにいひければ、おこせたり。をとこ、「われをばしらずや」とて、
  いにしへの にほひはいづら さくらばな
   こけるがごとも なりにけるかな

といふを、
「いとはづかし」くとおもひて、いらへもせでたるを、「などいらへもせぬ」といへば、「なみだのこぼるゝに、めもみえず、ものもいはれず」といふに、
  これやこの われにあふみを のがれつゝ
   とし月ふれど まさりがほな

といひて、きぬぬぎてとらせけれど、すててにげにけり。いづちいにけんともしらず。
 

   以前の美しい色艶は、一体どうしたのか桜の花よ

      枯木のように、みすぼらしい姿になってしまったではないか
  これがあの、私に逢うのがいやで近江を逃れた

     年月は経ったけれど、前よりおちぶれた人なのか


語 句



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