第69段狩の使
 ・・・阿波国文庫本

定家本 第69段

 昔、男がいた。その男は伊勢の国に、狩の使いとしてに行った。 その伊勢の斎宮だった人の親の、三条町こと惟喬親王(文徳天皇の第一皇子・844〜897)の母の紀静子(〜866・紀名虎の娘・名虎の邸宅が三条にあった)が、「いつもの勅使よりは、今回は丁重におもてなししなさい」と言ってあったので、女は親の言いつけだったので、とても手厚くもてなしたのだった。

 朝には狩に行く支度をして送りだし、夕方は自分の屋敷に来させた。こうして配慮をして思いやりを込めたのである。二日目の夜、男は、心が惑乱して「今夜どうしても逢いたい」と言う。女も勿論、決して離れていたいともは思ってはいなかった。しかし、人目が大変多いので逢うこともままならない。この男は使者の中でも中心メンバーだったので、そんなに遠い場所に泊める事ができない。
女の寝所の近くにあったので、女は人が寝静まるを待って、午後十一時頃に男のもとに来たのだった。


悶々として寝られなかったので、外の方を見ながら横になって寝ていると、月光のおぼろげな中に人影が複数あるのを見出したところ、小さな女の子を先に立てて、人が立っている姿が見えたのだった。男はとても嬉しくて自分の寝所に連れて入り、午前二時頃まで一緒にいたが、女はまだ何も話をしないうちに帰ってしまった。男はたいそう悲しくて、とうとう眠れなかった。
翌朝、女がとても気懸かりだったけれど、こちらから使いを送って様子を探るのもはばかられるので、ひどく待ち遠しくじれったい思いで待っていると、夜も明けてずいぶんと明るくなったころ、女の許から、歌の添えことばもない歌が一首だけ送られてきた。
  君やこし我や行きけむおぼつかな
    夢かうつゝか寝てか醒めてか

      あなたがおいでになったのか、私がうかがったのか、はっきりしません
        夢なのか現実なのか、寝ている時か、目覚めている時なのか

 この歌を見て、男は大変激しく泣いて、詠んだのった
 
  かきくらす心の闇にまどひにき
     夢現とはこよひ定めよ

        悲しみに暮れる私の心の、闇の中で心が乱れてしまいました
         夢なのか現実なのか、今夜おいでになって、はっきりして下さい

と詠んで送ってから、狩りに出かけた。
 男は、野の中には居たけれど心は空っぽで、今夜人が寝静まったら、すぐに逢おうと思っていたが、伊勢の国守で、斎宮寮の長官でもある人だったので、狩りの使いが来ていると聞いて、その夜は一晩中酒を飲み明かしたので、全く逢うこともできなかった。夜が明ければ尾張の国へ出発しなければならなかったから、男も女も秘かに血の涙を流したけれど。とうとう二人きりでは逢えなかった。夜がそろそろ明けようとする頃に、女の方から差し出す盃の皿に、歌を書いてさし出した。手に取って見ると、
  
かち人の渡れどぬれぬ江にしあれば

      徒歩で行く人が渡っても、濡れもしない江であったから、とても浅いご縁でした

と書いてあったが、下の句はない。
  その盃の皿に、松明の炭で歌の下の句を書き足した。
  
またあふさかの関越えなむ

       また逢坂越えて、再びあなたと、お逢いしましょう

ということで、夜が明けると尾張に国へと国境を越えて行ったのだった。この斎宮とは清和天皇の御代の方、すなわち、文徳天皇の御娘、惟喬の親王の妹にあたる人のことであった。




挿入曲:Song for you   作曲・演奏:能登川忠男

原 文         解 説


ホームに戻る
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送