第 82 段


解説

 惟喬親王は文徳天皇の第一皇子。母は紀名虎の娘・静子で、その兄の紀有常の娘は、業平の最初の妻で、その間に長男・棟梁が生まれている。文徳天皇に、染殿の后(藤原明子)との間に第四皇子惟仁天皇が生まれると、その外祖父・藤原良房と紀氏との間に世継ぎ問題が起こった。業平の伯父・高岳親王の廃皇子の悲劇と同じように、惟喬・惟仁継位闘争の結果、惟喬親王が負け、その影響で872年29歳のとき出家してしまうのである。
              

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