第 78 段


解説

 山科の禅師とは、仁明天皇の第四子・人康親王(法性)とする説と、平城天皇の第三子・高岳親王とする両説がある。人康親王は山科に住み、芸事を保護し、後に出家して天台宗を学び法性と呼ばれた。高岳親王は真如親王とも称せられ空海の高弟であった。すでに嵯峨天皇の猶子となっていた高岳親王は、薬子の乱によって廃された悲運の皇太子である。発心出家し、862年に唐に渡り、更に60歳を過ぎてからインドに渡る途中、マレー半島南部の辺りで亡くなったという。業平の在原氏とは別のもう一つの在原氏の始祖でもある。 

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