第 2 段
解説
新京の建設は先ず西の京(右京)から始まったが、実際は東の京(左京)の方が、人家がびっしりし立ち並び、人々の往来も多くよく発展した。東京に比べ西京は人家もまばらで行き交う人も少なくて淋しい廃墟のようであった。『源氏物語』の不幸な一生を送った夕顔も、やはり淋しい西京に住んでいたのは、この物語の影響であろうか。
藤原高子は15歳の時に父・長良を亡くし、叔母の五条の后・藤原順子とともに859年4月18日から翌年4月25日迄、西の京の兄・良相の邸宅で暮らしている。18歳の高子のもとに業平が通ったのはこの時期であったが、翌年には東の五条に引っ越してしまっている。第三段は、たった1年でガラリと変わった状況に涙するのだが、文徳天皇の死がからんでいるらしい。
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